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Acerca de

​Portable Shelter

2018 ミクストメディア・パフォーマンス作品

これは服と家というメディアを用いて、服の状態で着ながら移動し、家として仮住居として暮らすことでプライベートとパブリックの領域とはどう言うことなのかを実践した。

 

 プリンセスが着るような衣服を見て、服にはある一定期間その土地を占有することが可能であり、それは家としての役割も同時に機能する。

しかし、服は普段顔や身体の一部をさらけており、プライベート性というのは服の中にしか内包されずほぼパブリック性のものとして扱われることが多い。逆に家は身体全てを内包し所謂その空間はプライベートとして現れる。その両

者を交えた時、果たしてその領域はどのようになるのか。

 

家の土地は人が勝手に決めた区域であるように、様々な場所においてその場所を家として定めて暮らす時私

はそこの場所をその内包空間をプライベートとして捉える事が出来るのか。そこで様々な場所でこの服を着

ながら暮らしてみた。

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​最初は二子玉の河川敷で実践した。誰にも監視されない状況が心地良く、一晩過ごしても苦痛に感じることはなかった。ただ、自身が女性ということもあり防犯上茂みの中で過ごすことは怖かったので広場で過ごすことにした。初めてPortable Shelter内で一泊しても家のような安心感は予想以上に感じられたのが不思議な感覚だった。これは自身の身体が全て内包されてるからそう感じるのか。何を持って家なのか考えさせられた。

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​Portable Shelterの隙間からみた景色

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恵比寿ガーデンプレイス内

服を折りたたんで過ごすと誰も見向きもしないが一度テント型の大きさになった時、人の視線が多く見受けられた。また家として過ごした瞬間巡回している警官が来たことに驚いた。警官に「ここに居ないでください。」と言われたので「これは衣服なのですが。けれどもすぐ移動します。」と言ってすぐ移動した。たまたまだったのか、意図的なのかわからないが上記のように過ごした瞬間にきたのでとても居心地が悪く感じた。帰宅後調べてみたら当時の恵比寿のホームレスの数は0という記載があった。宮下公園や新宿での景観におけるホームレスの問題にも通ずる。これは公の空間における個人/人権の扱い方、景観のために人を排除する、街の中を移動すると彫刻で「人が住めない」ようにする行為は数多くあることについても言及したい。この利点はすぐ移動できる気軽さと好きな場所にいる事ができると思っていたが、物理的には居れても、家としての居る感覚は希薄だった。ホテルやキャンプのテント内では感じるのにこの差異はなんだろうか。

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電車内

移動しながら居住することについても考えたく実践してみた。

テント内で過ごしながら移動すると自分の所在地が地図上では変化し続けながら、けれども「居る」という状況に自分の所在や存在が分からなくなってしまった。住むことはそこの土地を一定期間専有することだが移動し続けながら住むという感覚、且つそれが服のようなプライベートとして振る舞わず完全なプライベート空間として機能していることはなんだろうかと考えていた矢先、停車駅で乗ってきただろう男子学生たちがヒソヒソと「うわ!なんだこれ!え。え。怖い。」と話し合っているのをテント越しから聞こえた。

その瞬間私の中でのプライベート的な心地よさは一気に破綻した。 且つよりパブリック性を意識してしまし視覚上で確認するのが怖くテント越しから聞こえる話のみでの情報に何かされるのではないかという恐怖さえ感じた。

​いくら完全に覆われていても目では見えない知覚情報でプライベート/ パブリックを感じることは今までなく、自身のその領域はとても脆いものだと痛感させられた。

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川崎の工場地帯

川崎の美しい工場地帯を眺めながら過ごしたいと思い、過ごしてみた。夜だと人が全くいないので時間帯/場所による住みやすさは普通の家で決めるのと選択肢が違うことに当たり前だがこのとき気づいた。このportable shelterであれば普段の生活で考えなければいけない利便性を抜きにして純粋に綺麗な夜景で過ごしたいと思いすぐ実行に至れるのが魅力的だと思った。例えば銀座の一等地に住みたいとなればこれであれば土地を占有しているのにもかかわらず他者に衣服として振舞うことでいれてしまうこと。しかし同じ土地であっても金額の差異は異なるというのは土地そのものではなくそこから派生する資本主義的な観点において価値が付随している点についても言及したい。しかし私は銀座の一等地よりもここでの場所の方が居たいと思った。

またしばらくそこで過ごすと自分はここに居るのかという実感が希薄になった。

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